第2次世界大戦後、多くの途上国 では輸入代替戦略に基づき内向きに工業化を進める こととなった。すなわち 何らかの輸入制限措置を政府が設定し 、国内のすでに ある 市場 を 国際市場から隔離 し 、 保護 • 育成 するものであった 。 その輸入代替工業に要な資本財 、 社会的間接資本財 、 あるいはこれら にインプットされる中間原材料は優先的に輸入が図ら れたのである 。 実際 1950 ~ 60 年代 の多くの途上国ではこの 戦略に反応して独立直後の初めての工業化を着実に実現していったのである 。とりわけ東 • 東南アジア諸国では繊維 • 衣服身の回り品 あるいは電気製品などの最終消費財産業が順調に輸入代替されてきた 。 この背景には 農業部門の外延的拡大 ( 耕地の拡大 、 土地 の量的拡大 、 widening ) 、 それに続く政府による 灌漑事業 、肥料投入等による内包的増大 ( 土地生産性の向上土地 の質的改善 , deepening ) 、 さらにその後の 「 緑の革命 」 による 継続的で長期の生産性 の上昇があったことは言うまでもない 。 しかし 、 こうした着実な成功はまさにそれ ゆえに限界にも達することとなった。 そもそも輸入代替戦略を採用した途上国は国内の需要規模すなわち人口 がそれほど大きくはない 国々が中心であった 。 こうした 国々の農業・工業両部門が 政策的保護の下に着実に成長したため 、 輸入代替 している最終財製品の国内市場がわずかの間に枯渇してしまったので ある。さらに加えて 、 最終製品 、 外国為替 、 資本等の市場 に政府介入 してい た効果が別の 側面で現れてき た 。 最終製品の生産 に要な投入財の輸入は優先的に割り当てられ 、 しかも 、 自国通貨 ( 為替 レート ) も過大評価するよう に 介入していたため 、 自国財が割高となり外国製品の輸入が有利となり 、 派生的 な輸入が増大した。このことは取りもなおさず 割高な自国通貨で世界に供給する輸出産業 ( さらに輸入代替産業の輸出化 ) にとって不利となった 。 この ため輸入代替することで 外貨 を節約するという当初の意図とはうらはらに 、 貿易収支は悪化 してしまっ た。また為替レートの過大評価のための 介入 ( ドル当たり国内通貨の低め誘導 )と同様 に資本市場にも介入し 、 輸入代替工業 に資金を優先的に供給するため金利を低く抑えた 。 この人為的低金利政策はほかの資本集約的な産業にとって有利 に働き 、 結果的 に資本集約的産業もまた拡大することとなった。人為的低金利政策は本来 、 労働集約的輸入代替産業政策的導 するためのものだったのである。 一方 、 こうした 国内経済の動きとは別に第 2 次世界大戦後 4半世紀を過ぎた1960年代末から 70 年代にかけて世界は転換期を迎えていた。 大戦の荒廃から世界経済 、 とりわけ 欧州 ・日本を中心とする先進国経済は順調に回復の度合いを示した。 一方 、 途上国は期待し たほどの実績を上げることなく 、 「 国連の開発の 10 年 」 は失われた 10 年 であったなどと 揶揄された。1 人当たり所得の増大がトリックル • ダウン し て 貧困層に届くであろうことが 、期待されて い たが 、 多くの 国々で絶対的貧困層は解消さ れないままであると主張された。これを背景として途上国 と先進国の双方から転換が期待され 、 1974 年 、 国連が新国際経済秩序 ( New International Economic Order ) を提唱した。
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